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■『図書新聞』2005年11月12日号 木崎さと子氏評 

“聖なる”ゆえんを解きながら、人間らしさも丁寧に描く
パウロを一つの時代・社会のヒーローとして生き生きと〔見出し〕

 一民族の宗教であるユダヤ教徒として生まれて、その教えのなかで育ちつつ、世界じゅうすべての人にとっての「愛である神」を説き、身をもってそれを生き抜いたのはイエスだが、その教えを知的に表現して異邦人に広め、世界宗教としてのキリスト教会の基礎を築いたのはパウロである、とは知っていても、パウロそのひと、に格別の人間的親しみを抱く人は少ないのではないか。同じ大聖人でも、ペテロは生業が漁師であれば眼に浮かび易いし、イエスが大好きでいつもくっついていたくせに、師が逮捕されると、「あの人は知らない」などと否定してしまったり、後々の勇敢さ、賢さはさておき、ごくふつうのひと、という親しみ易さが先立つ。何より福音書のなかでお馴染みだ。


 パウロは福音書には登場しないし、出自もイエスとは遠く、都会育ちのインテリだから一筋縄ではいかない。使徒言行録によれば(キリスト教徒となった)「ステファノの殺害に賛成し」(イエスを信じる人々の)「家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」という恐ろしい人物だったのに、ダマスカスに近づいたとき突然「天からの光」を浴びて、イエスの呼びかけを聞き、迫害者転じて大伝道者となった強烈な人である。かつて自分が潰そうとしたキリスト教会の基礎を固め、いくら“ローマの平和”による道路整備があったにせよ、何千キロの旅を繰り返しては信者を増やし、神学的にまとまった思想としてのキリスト教を手紙にして書き送っては教会員を励ました。偉大な分、感情移入はし難い人物である、と私も敬遠ぎみだった。とはいってもパウロ書簡の霊的深さには感動するのだが。


 それだけに、テイラー・コールドウェルというアメリカの女流“流行作家”がパウロを主人公として長編小説を書き、一九七〇年に出版されたとき、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに八ヶ月も挙がり続けたと知ったときは、ちょっと驚いた。それがこの度三陸書房から翻訳出版された『パウロ、神のライオン』である。三巻の分冊が収まった函を手にして、読みもしない内に、やっぱりアメリカだなあ、などと感慨にふけった。著者の人気があるとはいえ、パウロという聖人への当時のアメリカ人の興味のほども推察されるではないか。使命を自覚すればどれほどの困難にむかっても突き進んでいくパイオニア精神が、よかれあしかれアメリカ人の志向だ、万事消極的な私には合わないけれど、などと余分な先入観を抱きながら読み始めたが、パウロを一人の人間的ヒーローとして、一つの時代の一つの社会のなかで、生き生きと描き出した歴史小説として興味深く読めた。聖人が“聖なる”ゆえんを解きながら、その人間らしさも丁寧に描いている。


 これほどまでに準備し努力を傾けてパウロを描こうとした作者のモティヴェーションは、イエスのもたらした世界の新しさを視覚的に現存させ、その裏にひそむ歴史の厚みを示したい、という願望であろう。ユダヤ教とキリスト教、つまり旧約と新約をつないで分厚い層となって流れる時間が、視覚化される結果、新約の世界が実に立体的に見えてくる。


 パウロがファリサイ人として育つ課程に、ローマ化したサドカイ人である母親やギリシャ人の解放奴隷である家庭教師などを配し、成長後も当時の知識人をちりばめて、ヘレニズムとヘブライズムのはざまにあったパウロの思想形成を説明している。当時の地中海世界の文化の奥ゆきを、登場人物の知的会話の豊饒で示すほかに、環境のなかの自然物を描写することによって場面を息づかせる筆の意気込みは格別だ。当時の庭園、邸宅の造り、料理、もてなしの仕方、などの描写は極彩色で眼に楽しい。ステファノの処刑の場のドラマ性、医師としてのルカの登場の仕方なども、重厚に描きこまれた泰西名画を見るようだ。


 ペテロが生身のイエスに慣れ親しんだのに較べて、キリスト論創始者としてのパウロのイエスへの関心は理念的なものであるかのように言う人々に対して、パウロもまた人間的感覚を通してイエスに惹かれたのだ、と著者は強調したかったのだろう。ほぼ同時期に生まれたイエスとパウロが現実の肉の存在として遭遇する場面をつくったり、神の息子であるイエスの犠牲と重ねたかったからか、パウロに息子がいる、その息子はただ一度の少女との交わりの結果であり、よき養父によって育てられ、若くして死ぬ、という設定にしたり、書簡から読みとれるパウロの性格を尊重しつつ、小説家らしい想像を迸らせる。


 原文もたぶん読み易い流暢な文体なのであろう。別宮貞徳氏の監訳のもと、三人の訳者がそれぞれ一巻ずつ受け持っているが、文体はよく統一され、違和感なく読める。


 こういう小説が訳出され出版されたことは喜ばしく、ロング・セラーとしていつまでも入手可能であってもらいたいものだ。

   

(作家)



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