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■『本のひろば』2005年11月号 渡辺和子氏評

 「彼は紛れもないライオン、赤いライオン、神の偉大なライオンだった」と、聖アウグスティヌスは、使徒パウロを評したという。この度、三陸書房から刊行された『パウロ、神のライオン』は、まさにパウロの“ライオンぶり”を、その出生から青年時代、回心、回心後の姿と活動に偲ばせる本である。


 著者テイラー・コールドウェル(1900─85)は、イギリス生まれのアメリカ女性で、本のまえがきに、自分は聖書に語られていないパウロの人間的側面、私たちと同じく「絶望や疑いや不安や憤り、さらには『肉欲』を抱えた一人の人間」を描きたかったのだと記している。


 第一部「生い立ち」、第二部「人間と神」、第三部「異邦人への使徒」と三分冊になっており、55章、1072ページからなるこの大作は、一貫した一つの小説にまとめられていて、一部冗長に思われる部分もあるが、読む者をして飽きさせない展開の仕方は見事というほかはない。


 第一部「生い立ち」は、「醜い子だわ」という、読者の意表を突く母親の言葉で始まる。顔も目も人並以上に大きく、かわい気のない赤毛の持主だったサウロ(ローマ風に呼べばパウロ)は、かくて、容姿的には必ずしも恵まれていなかったらしい。


 貴族で富裕な家の長男として、幼い時から高い教育を受け、鋭い頭脳の持主であったサウロは、論敵には攻撃的であり、張りのある声で聞く人を引き込んだという。青年期のサウロは、聖書の中のパウロを髣髴させる。


 第二部「人間と神」の中では、洗者ヨハネやルカとの出会いがあり、人々が噂するイエスと呼ばれる存在への好奇心と同時に、自分が想像するメシアと異なるイエスへの疑い、反感、憎悪が描かれている。サウロの怒りは、キリスト者への厳しい糾弾、迫害となって表われ、その極に達した時、サウロはダマスコへの途上でイエスの呼びかけを聞いて回心するのであった。


 第三部「異邦人への使徒」で、回心後のサウロが見出した初代教会は、キリストの復活後二年も経っていないというのに、すでに分裂のきざしを持ち、そこには意見の相違による小ぜり合い、不一致があった。そのさなかで「神のライオン」は吼える。キリストの愛と赦しの福音を告げるために。


 サウロの福音宣教は困難を極めるものだった。生前のイエスと生活を偕(とも)にしたこともなく、加えて、キリスト者を激しく非難、迫害したサウロを、人々は簡単に受け入れようとしない。異邦人への宣教について、割礼について、ペトロとの間とも意見の相違があった。孤独なサウロを支えたのは、ダマスコ途上で示されたイエスの愛深い啓示であった。


 若い時の肉欲の結果として生れた息子の死も、サウロを深く悲しませる。赤毛のライオンのたてがみは白くなり、疲れを覚えながらも、神のライオンは、夢にまで見ながら、生前まみえることのなかったイエスのため、「サウロ」と呼びかけた主のために、その獅子吼をやめることなく、百獣の王としての風格を保ちながら、今は、彼のすべてとなったイエスと類似した苦しみを甘受するのだった。


 この本は、小説とはいえ、綿密な検証に基づいて著されたという。かくてこの本の価値は、単に、異邦人の使徒パウロの人間的側面を知るだけのものではなく、キリストが誕生し、死に、復活した前後のユダヤを知る上で極めて貴重である。サウロが当初求めたメシア像は、当時のユダヤ人のそれであった。


 著者は冒頭で、「今日の私たちが立ち向っている問題は、サウロの世界にあったものと全く変りがない」と述べているが、サウロが立ち向い戦った異邦人への差別、官僚主義、政界、財界の腐敗、不正、不道徳の横行、宗教、民族間の争いは、そのまま今日の私たちの問題である。さらに、現代のキリスト教会内の不一致、物質的富の追求、神不在の人間の傲慢さもまた、すでにパウロの時代に存在していたことに気付かされる。歴史は繰り返すのだ。しかし人は、そのことから学んでいない。


 分冊ごとに訳者が異なるにもかかわらず、美しく読み易い日本語に統一されているのは、監訳された別宮貞徳氏に負うところが大きいのだろう。大部であるにもかかわらず、始終興味深く読み、再び読み返したいと思わせる内容であり、翻訳である。


 
(ノートルダム清心学園理事長)



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