三陸書房ウェブサイト
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〔1〕2006. 1. 1

新年明けましておめでとうございます。今年もよき本づくりと《オリーヴ》の充実に励みたく存じます。志はありあまるほど持ち合せているつもりですが、それを受け容れてくださる皆さんのご支援あっての出版社です。一層のお引立てをお願いいたします。  

 今年2006年は、昨年の《万葉秀歌365》に引きつづき、《新版 万葉秀歌365》をお送りいたします。詳しくは「《新版 万葉秀歌365》について」をご覧ください。



〔2〕2006. 1. 6

《オリーヴ》今月号掲載の「ちらりと見たアメリカ南部(2)」に、執筆者出口さんの自筆イラストが入りました。神田神保町と雰囲気が似ているという、ノックスビル市内オールドシティーの絵です。アップロードが少々遅れましたが、ご覧ください。楽しい絵です。  



〔3〕2006. 1.18

元日からでなく残念なことでしたが、《新版 万葉秀歌365》に、その月に咲く花や木の実などの画像をあしらうことができるようになりました。詳しくは「《新版 万葉秀歌365》について」のなかの「《新版 万葉秀歌365》の植物画像について」をお読みください  



〔4〕2006. 2. 1

ちいさな喜びと日々──父からの贈りもの』が静かに読まれています。特に人生経験豊富な中高年の人々の支持には熱いものがあります。最近、骨折して入院した人に、この本を読んで感銘を受けた人が贈ったところ、さまざまな辛いことに遭ったにもかかわらずユーモアがあって、しみじみと気持が落ち着いた、という言葉が返ってきたということを耳にしました。ちょうど折も折、横浜伊勢佐木町でおでんやさんを営んでいる南賢一さんからお便りをいただきました。「すべてを心の揺らぎもこまやかに、淡々と優しく語りかけるようにつづられています」と書いていらっしゃいます。「読者評」としてこの本のページに掲げさせていただきました。お読みください。  



 〔5〕2006. 2.14

《新版 万葉秀歌365》の植物画像を、月の上期と下期に1つずつ、2つ掲載しますと申しましたが、2月は、上期にと置いた「うめ」の画像がことのほか美しいので、下期もこれでまいります。ご諒承ください。酷使されている眼をいくらかでもなごませるひとときとなれば幸いなことです。  

この「うめ」を歌った大伴旅人の「わが苑に梅の花散るひさかたの」の歌を《新版 万葉秀歌365》の1月3日に掲載しましたが、これは不適切でした。2月27日掲載に置き直します。1月3日分の差替え歌は、3月1日に予定しております、それまでの掲載歌の《新版 万葉秀歌365 ふばこ》への収録および掲載までに考えたいと思います。不手際をお詫びします。



 〔6〕2006. 2.22

昨年6月、本ウェブサイトの各ページのデザインを現在のものにリニューアルしましたが、その折未整備のページを一部残しておりました。このほど、ようやくそれらのページの整備を終え、工事完了しました。お見苦しく感じられながらも閲覧していただきましたこと、感謝申し上げます。
 これで本サイトが、homeを通ることなく或るページに直接アクセスされた方にも、そのページがどういうサイトのどのような位置にあるかがすぐに知られ、他のページへの移行も自在にできて、閲覧がしやすいと感じていただけるようになったものと思います。どうぞこのサイト内をご通覧ください。  

念のため申しますと、《新版 万葉秀歌365》の〈今日の秀歌メモ〉は、掲出歌文字列の末尾に☆印が付いているときに、メモ本文があります。☆印が付いていないときは空白です。



 〔7〕2006. 3.15

職業柄、本屋さんによく行きます。よく本を買います。狭い事務所がどんどん狭くなります。自分の作った本を売るよりも買うほうが多いのではないかと背筋をよく冷汗がつたいます。一応会社なので領収書をもらうことにしています。そこでよくハッとさせられます。宛名書きのところで「サンリクは一二三の三にリクチのリクです」と言うのですが、なかなかスラッと書いてもらえません。全然、というときもあります。「陸」は、改めて調べてみると、小学校の四年生で教える教育漢字です。「書店」と仲間うちの語の「書房」の「房」(こちらは常用漢字)も、さすがに「陸」ほどではありませんが、よく引っかかります。

 漢字の長所を活かした可読性の高い紙面づくりをと心がける書籍制作者としては、ウームと唸らざるをえません。

 ところへ、2月下旬、産経新聞の「談話室」で、「幼稚園で漢字の大切さ実感」という大阪府に住む主婦の方の投書(平成18年2月20日付)を、驚きをもって読みました。施策次第で、ムズカシイ、メンドクサイとされる漢字も、「意外に」(そもそもこう思うのが間違いなのかもしれません)幼児にも受け容れられるという実例が、ここにあります。

 同紙「主張」(社説)はこの投書を紹介しながら、「幼児の漢字習得能力は、大人が思うほど低くない。かつて石井式幼児漢字教育を創案した故石井勲博士が実証したことでもある。小学校に学年別漢字配当表を適用し六年間でわずか千字強の漢字しか教えないという漢字軽視の教育施策が、日本人の読解力の低下、従って学力低下を招いている。/国語表記の基本は漢字仮名交じり文だ。文字自体に意味を持つ漢字は国語語彙(ごい)の過半を担う。仮名は国語の音節を表す符号だから、漢字に比べて抽象性が高く、初めに語彙を仮名で覚えさせられることは、見た目とは逆に児童にとって知的蓄積の障害となる」と述べ、「学力の基は読解力、読解力の基は国語語彙力、国語語彙力の基は漢字力である。漢字力を身につけ、児童が自発的に読書に親しみ、先人の知恵や知識をいかに積み上げていくか、学力向上のための施策の要はそこにある」と指摘しています。

 子供たちは幼稚園で漢字を覚えることがあっても、小学校で制約されてレベルダウン、その結果、何かがわかること自体を面白いと感じる折角出た知的向上の意欲の芽が否応なしに摘まれてしまうという、痛ましい現実が控えています。

 この投書を読んだときにふと思い返されたことがあります。吉田満氏が『戦艦大和ノ最期』を書いたのは、22歳の時だった、戦前世代の、語彙も豊富に漢字力を駆使したあの見事な文語体の日本語文は、若年にしてものされたものだった、と。

 吉田氏のようなエリートではないながら、高い識字能力を持つ世間通常の人が、かつて(もはや遙か昔)向う三軒両隣にあたりまえのようにいたことも、懐かしさとともに想起されました。  



 〔8〕2006. 4.11

小社刊『アポロンの光と闇のもとに──ギリシア悲劇「オイディプス王」解釈』が試験問題に出ました。京都造形芸術大学の2006年度一般前期入学試験においてで、小論文(4時間)での出題は「文章A(木下順二『“劇的”とは』より抜粋)、文章B(川島重成『アポロンの光と闇のもとに』より抜粋)を参照しながら、ソポクレスの戯曲『オイディプス王』の特徴と、この作品が現代の観客(読者)にとって持つ意味について、3000字以上、4000字以内で論じなさい」というもの。 



 〔9〕2006. 4.13

小社ウェブサイトの home ページの前に動画のページがあることをご存じでしょうか?
 home のアドレスは
  http://www.sanriku-pub.jp/home.html
ですが、「home.html」を delete して
  http://www.sanriku-pub.jp/
とすると、出てきます。ご存じない方は一度お試しになってください。できれば、こちらのほうを ‘お気に入り’ もしくは‘ブックマーク’に(素早く)入れてくださるとうれしいです。



〔10〕2006. 5. 7

読みだして、たちまち愉快な気分になった文に出会いました。小学生の作文です。早速ご覧に入れましょう。

「ぼくはこの前、家ぞくで温泉に行った。水原のじいちゃん、ばあちゃんもさそった。おふろに入ると、ぼくは大はっけんした。
 『お母さんのおっぱい、ばあちゃんと同じだ』
 二人のおっぱいは、シワシワでしなびれて、そっくり。
 『あたり前だよ。私たち、親子だもん』
 お母さんとばあちゃんは顔を見合わせて『ねー』とわらった。
 ぼくはばあちゃんに『なんで、そんなにしなびれたのかなあ』ときいた。するとばあちゃんは『四人の子どもに、おっぱいいっぱい飲ませたからだよ。シワシワでしなびれたおっぱいは、しあわせのしょうこなんだよ』とうれしそうに教えてくれた。
 お母さんもニコニコ顔で『お母さんだって、三人の子どもにおっぱい飲ませたからだよ。お母さんもしあわせだよ』と言った。そしてぼくの顔をだきよせて、しなびれたおっぱいをくっつけた。本当だ。ほんわり、しあわせのにおいがした」。

と、これまで前半部分。ついで「ごはんの時間」での、じいちゃん、ばあちゃんに、お父さん、お母さん、おねえちゃんと弟とぼくが揃っての団欒のあと、作文はこう締めくくられています。

「しょうらい、けっこんしたら、おくさんに子どもをたくさん生んでもらおう。しなびれたおっぱいのおくさんが、ぼくの自まんだ。
 そして、またみんなで温泉に行こう。女は女どうし、おふろでシワシワおっぱいの見せ合いっこ。男は男どうし、『シワシワのおっぱいは、さいこうだねえ』と言いながら、お酒の飲み合いっこ。大すきな家ぞくに囲まれて、しあわせがごちそうだ。おなかは、はちきれるくらい、まんぷくだ。
 ああ、楽しみ。今からその日が待ちきれないぞ。早く来い来い、ぼくの未来」。

これは、4月23日におこなわれた「わんぱく宣言2006! 全国こども作文・スピーチ・コンテスト」(主催/ニッポン放送、共催/産経新聞社、後援/文部科学省、日本教育新聞社、東京都教育委員会、協賛/エヌ・ティ・ティ番号情報株式会社)の決勝大会で、最優秀賞の「わんぱく大賞」を受賞した、新潟市の小学三年生の作品。5月5日にラジオ放送されたほか、産経新聞に掲載されました。図書館などで全文をお読みになることをおすすめします。



〔11〕2006. 5.25

九州南端に近くきれいに半円にえぐられた形の志布志湾に面して巨大貿易港を抱え、宮崎県との県境に接する鹿児島県志布志町にカトリック教会がありますが、そこで主任司祭をお務めになり、最近鹿児島教区司教に叙階された郡山健次郎氏は、志布志の教会では「24時間司祭」であったようです。運営していられるサイト(新設のブログに移行作業中)‘Ken's Page’ (http://www1.ocn.ne.jp/~koriyama/index.htm) を拝見しますと、その躍動ぶりが伝わってきます。この方が、[大人たちへ]-[ぜひ読んでほしい本]で、小社刊『パウロ、神のライオン』を薦めてくださっています。ご許可をいただき、ここに引用紹介いたします。

 「著者はイギリス生まれのアメリカ人。大学卒業後作家活動に入り、数々の賞を受けた。訳者の別宮氏は、パウロの回心の出来事を読んで受洗。
 本書は三分冊で出版され、全1072頁に及ぶ大作。ある日、ダイレクトメールのはがきが舞い込んだ。本書のキャンペーンだった。いい加減な内容では、と思ったものの、パウロの小説というのは聞いたことがなかったので、ともかく注文してみた。ページをめくると、すっかりのめりこんでしまった。人間パウロの描写には恋愛小説が始まるのかといぶかったが、読み進むうちに、いい加減な内容では、という不信感は完全に払拭され、著者の綿密な時代考証に脱帽するばかりだった。また、随所に見られるパウロの著書からの引用が、そのままパウロの口から飛び出したりすると、断片的な聖書の言葉が血の通った生きた言葉となって迫ってくる。そして、かたくななまでの一途な愛すべきパウロ像が浮き彫りになってくる。同じパウロの名前をもらっていながら、自分とはずいぶん違うことも痛感。で、彼は、少なくともAB型ではなかったに違いない。
 ともあれ、タイマイをはたいて読む価値はある」。



〔12〕2006. 6.15

「東京国際ブックフェア」に、小社としては初めて出展します。
  第13回「東京国際ブックフェア2006」
   http://www.bookfair.jp/
  会期:7月6日(木)から9日(日)まで
  一般公開日:7月8日(土)、9日(日)
  会場:東京ビッグサイト
  小社ブース位置:人文・社会科学書フェア T2-21
 このブックフェアでは、出展社ほとんどの慣行にならい、小社も刊行書籍全点(現在7点しかありませんが)を値引き販売します。
 入場料は1200円ですが、小社にお申込みいただければ無料となる招待状を、小社からお送りいたします。スタッフ全員で(二人しかおりませんが)お迎えします。この機会にお目にかかりたく存じます。8日ないし9日に、どうぞふるってお越しください。
 招待状お申込みの際は、すぐ下のポストをクリックし、お名前・ご住所(郵便番号)・電話番号・メールアドレスをお書きこみになってお送りください。



〔13〕2006. 7.10

7月6日から9日まで4日間にわたる「第13回東京国際ブックフェア2006」は、たくさんの人の来場を得て、盛況のうちに終りました。
 小社のブースにも、一般大多数の方の興味関心を引いたとは残念ながら言えないまでも、少数ながら読み込み派の本好きの方のお立ち寄りをいただきました。その方々との語らいを持って、わたしどもの読者は存在すると改めて確信しました。世の出版傾向の大筋に合致しないとしても、これぞ本と言えるモノを送り出すことを念願とする小社の版元としての存在も、したがって、アピールしつづけねばなりません。知られるための種々の方策のひとつとして、来年のブックフェアにも出展することを決めました。フェアは本をつくる立場にある者と読者の皆さんとが触れ合う稀に見るよい機会です。今年お出でになれなかった方、来年はどうぞお越しください。face to face で本の話など伺いながら、つながりが持てればと思います。その折がまた近づきましたらご案内申し上げます。

 このブックフェア出展のために、7日から本日10日まで「万葉秀歌メモ」がおろそかになってしまいました。つくり置きもできない状況でした。この間メモを添えるべき歌がいくつかあり、放置はできない気持がしますので、8月末に予定している《新版 万葉秀歌365ふばこ》の「6月 7月 8月」のアップの際、この欠を埋めたいと思います。ご諒承ください。



〔14〕2006. 7.19

事務をとる際、ゴム印を捺すためにスタンプ台をよく使いますが、いつも薄ぼけた感じで印字されるのをはがゆく思いつつ、スタンプ台というのはこういうものなんだろうと受け取っていました。ところが、スタンプ台といえばこれというほど近くで簡単に手に入る、これまで使ってきたモノとは違うモノがあると知り、ちょっとした探す手間と財布の紐を少しばかりゆるめることで購入し、いざこれを使ってみると、まるで別モノということがわかりました。黒はつややかにあくまでも黒く、青も発色よく、赤もまた。おかげで従来よりはすっきりと、郵便物を大量に発送することができました。
 よいモノが見えにくくなっています。印字の不鮮明なスタンプ台だけでなく、身のまわりのモノに限っても、すぐ切れてしまう輪ゴム、臭う割箸、軸の折れやすいマッチという小さなモノから、モデル・チェンジのはげしい、保ちのわるい、見てくればかりの家電製品等々まで、商店で圧倒的なシェアを占有して幅利きなのはそういうモノばかりです。目につきやすいそういうモノがモノとして当りまえの商品に見えるようになって、それに慣らされてか、少しばかり値は張ってもよいモノを永く使い続けようとする気構えを持つ人が極めて少なくなった、と言えるのではないでしょうか。



〔15〕2006. 8.15

一緒に仕事をしている者が聞いた話です。話し手は近所の家に来ているヘルパーさん。
 「仕事を終えてバス停で帰りのバスを待っていた時のことです。4時頃だったかしらね。私が行く前に数人の人がバスを待っていました。あのバス停からすぐに、道を一本隔てた角の所に床屋さんがありますね、あのちょうど角で、左折してきた車と自転車に乗って右折しようとしていた蕎麦屋さんのご主人が、出会い頭にぶつかってしまったんです。車の急停止する音で私がそちらを向いた時には、ご主人は自転車から落ちて仰向けになって倒れていて、当てた車のほうは目の前を走り去っていきます。慌てて駆け寄りました。ご主人の腕から血が流れていました。持っていた携帯電話で警察に110番して、一応自分の身分を説明して、事件を通報しました。そうこうしているうちに、待っていたバスが到着しました。バス停に立っていた4、5人の人が、乗り込みました。何事もなかったように、です。私は警察が到着するまで待とうと、発車するバスを見送ることにしたんですけど。事故を目撃しながら助けようとせず、一言も口をきかなかった中高年らしい男の人や女の人は、間違いなくこの住宅地に住んでいる人だったわ。
 その後2、3日して、けが人のことが気になりましてね、その事故の当事者だった蕎麦屋さんのところに行ってみました。蕎麦を食べながら、『その後いかがですか?』とさりげなくたずねてみました。でも、何の反応もないんです。まるで、事故などなかったみたいなの。私があの事故の通報者であることを私は話しませんし、あの時の警察官も私のことを伝えていなかったのでしょう。それに、あの時の様子からすると、蕎麦屋さんのご主人がおぼえているはずもないのでしょうけど」。
 ひととおり事の次第を話し終えると、ヘルパーさんは間を置いて一言、「冷たいところね、ここは」と目をそらしながら言ったそうです。
 この無関心な人たちはわたしたちの隣人でもあることにぞっとします。かく言う自分にも、その仲間入りをするかもしれない傾きがないとは言えません。〈ここ〉は至るところにある気がします。
 それにしても、事故の被害者のその後の様子には、また一段と驚かされます。



〔16〕2006. 9.15

そうはたんとない、本物と言えるモノを企画製造し販売していた店が、この8月末、姿を消しました。神田淡路町にあった、靴下を主要商品とする「洋品・雑貨シリー」です。店主の杉本亜治さんは、本サイトのマガジン《オリーヴ》2004年3月号に「靴下づくりの夢」を書いてくださっています。モノづくりと店に懸けた思いをお酌みとり下さい。
 杉本さんの靴下の存在を知り、着用し、エッセイ執筆をお願いした頃から、その靴下を愛用していますが、実際ことのほか良質で、「シリー」閉店に際して10年分ほど買いだめしたくらいです。いかに良質かといいますと、膝まである長いのをもっぱら用いていますが、一日履いても足がむくまず(血行をよくする)、むれない、トップの締めつけがなく、しかも決してずり落ちない、銀の糸を編み込んであるので水虫になりにくい(ほとんどないとも言える。他のではこうはいきません)、臭くならない、と快適そのもの。まさに「いたれりつくせり」(商品名)の逸品で、一旦履いたら脱ぐまでずうっと気にしないでいられます。
 閉店の理由は、後継者がいないということもひとつあったようですが、そうした状況でも「やる気」を増進させてくれるはずの、よいモノに対する世間の反応が、開発した靴下の商品としての良し悪しを自分で検証したくて店を開いて後6年半、いくら営業努力しても思うほどではなかった、疲労感が増すばかり、というのが大きかったようです。杉本さんは、店仕舞するにあたって債務はなく、これからは一緒にやってきた妻と夫婦ふたり、旅行するなどして楽しみたい、しかし、夢の靴下を追究する一定の時間は持つつもりです、と語ってくれました。
 買う人の立場に立ってよいモノを作っても、それが真実ひとりよがりでなくよいモノであっても、はかばかしく売れない、とはしかし、一体どうしたことでしょう。あたりまえに通ってよいはずのことがなかなかそうならないというのは、やはりどうにも解しかねることです。わたしどもの出版業界には、昔から「良い本は売れない」と公言する人がいますが、近頃では「売れる本が良い本だ」と多くの社員を前にして言い切った、さる大出版社の重役がいるようです。この言を裏打ちする現実は確かにあります。これに与する考えは全くありませんが、それにしても現実を直視すると、冷え冷えと寂しい思いがつのります。
 わたしたちにとって実は必要で貴重な店が、また一軒消えました。「有為転変は世の習い」とばかりに済んだことになってほしくない気持がはたらきます。



〔17〕2006. 10.13

このたび、鴎友学園女子中学高等学校図書館の蔵書に、小社刊の下記の書籍が加えられました。
 『イエスの七つの譬え──開かれた地平』
 『ムーサよ、語れ──古代ギリシア文学への招待』
 『アポロンの光と闇のもとに──ギリシア悲劇「オイディプス王」解釈』
 『パウロ、神のライオン』
の4点です。ご購入後、図書館の方にお会いする機会が幸いあり、その折、小社の本づくりの意のあるところに注目してくださっていたことがわかり、はなはだ元気づけられました。その後数日して、大学生になる前の若い人たちがこれらの本を読むという測り知れない意義の大きさを思っていたところ、関西のある高校の図書館から電話をいただきました。『アポロンの光と闇のもとに──ギリシア悲劇『オイディプス王』解釈』の購入についての問合せでした。
 嬉しいことが重なりました。何やかやと理由を付けて(付かないときも)飲むのが常ですが、この晩の一杯は格別でした。



〔18〕2006. 10. 20

当サイトの Top Page の BGM を、《オリーヴ》執筆者のひとり、島田泉氏が作曲してくださいました。本日より皆様のご来訪をお迎えします。どうぞよろしくご贔屓のほどお願い申し上げます。
 なお、Top Page のアドレスは、
   http://www.sanriku-pub.jp/
です。できれば、home ではなくこちらを、‘お気に入り’ もしくは ‘ブックマーク’ に(素早く)入れてくださるとうれしいです。


 
〔19〕2006. 11. 1

当サイトのマガジン《オリーヴ》の小島将志氏執筆、シリーズ「神保町、昔と今」は、2004年4月号の「アフターセヴンのまち」以来、今月号で27回目を迎えますが、このたび小島さん撮影の写真を合せて22枚、適宜添えることができました。小島さんの神保町と広く街並みに対する深い関心の程がわかる写真ばかりで、とりわけ、(19)の「新イタリア文化会館の赤い壁」や、(21)の高架下の「日本橋川」「日本橋」の写真は圧巻です。ぜひご覧になってください。






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