〈編集現場から〉
1989年12月9日、開高健先生は逝去されました。58歳という若さでした。衷心より哀悼の意を表するものです。冨山房は、『言葉の落葉』4巻(単行本未収録全エッセイ、1955〜81年)、対談集『言葉を、もっと言葉を!…』を刊行しています。担当編集者の追想をここに掲げます。
  

 開高健先生を思う
──『言葉の落葉』の頃



編集者の仕事の楽しみの一つは、著者の“人”と接することである。知のみにはよらない背景や蓄積につと胸打たれ、揺り動かされることが少なからずある。しかし、当方のぶざまな姿がむき出しになる事態だってしょっちゅうあるので、楽しいどころか怖いとも言える。素養の程が問われる局面を迎えた折などは、まず心中奥深く不吉なさざ波が立つ。かなり緊張した楽しみである。
   ◆折々の小説家
開高健先生と初めてお会いしたのは、79年にスタートした『言葉の落葉』刊行中であった。茅ヶ崎のお宅に伺い、客間を兼ねた明るく広いリビングで、どの出入り口からお出ましになるかと直立してお待ち申しあげていると、じきに雑誌やテレビで馴染みの顔が前方に現れ、ギラリとこちらを見据えつつ、バッキンガムの衛兵のような大股で跳ねるがごとく数歩、ぴたりと私の真正面、文字どおりつい鼻先に立たれた。そして、度胆を抜かれている私に、目を(やや下方にあった)むき、声高らかに「クワイコーです。ようこそ」と仰言った。
まさしく、“謦咳に接する”この出会い以後の数年間、片目をつぶり口もとニンマリ、「ン、先生?」としらばくれて、“巨匠”という言葉をせがむ小説家から、私は、叱咤、揶揄、嘲笑を時に浴びつつ、掛替えのない啓発・薫陶を受けた。お宅の書斎で、お庭で、神保町の喫茶店で、さまざまな場所で。思い出すことは多く、悲しみは深い。
書斎は、「狭いとこでなけりゃ書けないんだよ」というお言葉のとおり、広くはなかったが、次の間の一段高い畳敷きの寝室やトイレ・水場などと一体になって、小ぢんまりとそこだけ独立した構造のような趣だった。つつましいとさえ言いたくなる何の気取りもない坐り机を前にした障子窓から、いつも明るくやわらかな光が差し込んでいた。開け放つと、一面の竹林だった。清浄に静かに、空からの光をたたえていた。竹林と向い合う壁に、巨魚の剥製(?)が二、三掛けてあった。小型の辞書類とともに机の上に立ててあった本は、標題に「ヴェトナム」とあるものが多かった。書庫は別にあるらしかった。
この書斎に、絵でいえば二五号くらいの大きさの、ご自身のポートレートのパネルが三種三枚、天井から床近くまで縦に並べて一方の壁に掛っていたことがあった。いずれも、「作家、開高健」以外の何者でもない顔であった。この前か後か、ともかく別の時、近くの海浜ホテルで馳走にあずかった折のこと、エレベーターに二人だけで向い合っていた。開高先生は(常にひとを観察している小説家であったが)、話の合間にボツリとこう言われた。「自分の顔、好きやない」。
ある日、「旅に出る時、持っていく本がなくて困る」と、すでに地球上をあらかた踏破している旅行家は仰言った。バイブルをよく持っていく、旧約は面白い、という話のあと(どこかに書いておいでのことかも知れないが)、パリの宿で深夜、百人一首を読みあげながら、子供の時にかるた遊びした伯父さんの顔、叔母さんの顔、父母・親類・知人の顔を思い出しては、一枚一枚ベッドのまわりに投げ飛ばし、こみあげる涙せきあえず(『珠玉』の高田先生のごとくであったろうか)、酔余の眠りに落ちた、という話をなさった。
   ◆消えやらぬ声
“巨匠”と対する時、私はいつも、言うも愚かなことながら、聞き役専門だった。相手は名にし負う博学多識の行動家、一癖も二癖もある小説家、そのうえ、「編集はチキチキバンバンや」と仰言って、「痴気・稚気・知気(『風に訊け』1では「知己」)」と書いてよこされる、花も実も、幅も厚みもあるお方。気持よく話していただこうと、うまく合の手を入れることに忙しかった。しかし、無難で紋切型の受けをあんまり続けては退屈されて駄目。で、時折、「身の程」を打っちゃって蛮勇をふるい、何か喋る。すると、たまには的を射ることもあったらしい。そんな時は先生沈黙、次いでこちらをマジマジと凝視、しばらくあって「追いつめすぎると手酷い反撃を食う、という金言があるが、忘れとった」と呟いたり、さらに沈黙を続行して私とご自身のグラスになみなみと、例えば白ワインを注がれる。いつの日であったかこのような時、酒量の上がるのを気づかわれた奥様の目くばせで、何のかのと言訳しつつ座を立ち、酔いのまわったメートルの「帰るなあーっ」の連呼を背に、意気揚々と帰ったこともあった。
ところが、こうはいかなかったことが一度ある。お庭の腰掛で、日本酒一升瓶を間に置いて、白日光のもと飲み始めた。酔いのせいではないだろう、何度かお会いして勝手に気安く思って弛緩していたのだろう、何と発言したのか今どうしても思い出せないのだが、ひどく浅薄なことを口にしてしまった。いや、先方の態度の急変を感じて、そうとわかった。駟モ舌ニ及バズ、途端に「ケケケケケーッ」ときた。恐竜時代の怪鳥の叫びもかくやと思う声である。実体の薄さを見透かされたのである。今でもこの声は頭の中に反響していて、たぶんずっとずっと消えることはないだろう。大事に抱えていきたいと思っている。

                 ×

開高さんとはもう一度お会いできるような気がしてならない。そのように人に感じさせる、またとないお人柄であった。心に風穴をあけられた人は幾人もいようが、私もまたその一人である。
開高さん、次の世界でまたお会いしましょう。今よりはいくらかましな話し相手がつとまるよう、その時に備えて努めたいと思います。どうかそれまで、心優しき人々と共に安らかに憩われんことを。
           (「出版ダイジェスト」第1332号、1990年3月21日)






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