三陸書房
インド細密画の小径
 
インド細密画の小径(52)

マルワの絵画 その5
マルワのラーガマーラー絵画 いろいろ   
辻村 節子 



絵1: マルスリ ラギニー
中央インド マルワ(ナルシンガラ) c.1640 18.5×14.5cm


画面の下部の池に蓮の花が満開。右手の丸屋根の館の戸口に侍女が立ち、庭のラギニーの背に風を送る。しつらえられた台の上に立てひざで坐るラギニーは、左手に大きな蓮の花を持ち、右手でその花弁をむしっては足元に落としている。紺色の背景にその白い花弁と、どっしりと立つ大木の白い幹、豊かに茂った枝葉とその間から延びだしている花蔓にリズムを感じさせる。絵の裏には「彼女は昼間から愛人を思い、夜の戯れを夢見ている」という意味の二行詩が書いてあるという。
この絵は『Ragamala Painting』の著者エベリングの調査によれば、現存するラーガマーラー絵画の最初期のものとされるグジャラート・c1475のジャイナ様式の作品から数えて、第20 番目の、マルワ最初期のラーガマーラー絵画写本とされているものからの一枚である。
マルワ地方の首都マンドウのムスリム系支配者バズ・バハドゥールが1562年アクバル帝軍に滅ばされた後、マルワ地方はムガルの施政官のもとでラジガルの名の下に統合され、小ラージプートの集合体として各地域でそれなりに栄えた。
しかし17世紀になるとこの地域は当時のインドの戦乱のちまた、デカンへの途上にあたるため、ラージプート軍とムガル軍の角逐の場となり苦しめられた。そのようななかから、それまでにマンドウを中心に培われた絵画伝統の上に、この地域のラージプートの伝統的民俗文化が加わり、素朴な新しい絵画の派が生まれた。ラジガラでは、1634年の記銘がある『ラースィカプリヤー』写本をはじめとして、本連載「小径」(50)の絵4、絵5でご紹介したような、見事な挿絵入りのインド古典文学の写本が作られた。 
1681年にラジガラ内外の圧力で7つの小独立州に分かれると、各州の藩王のもとで絵画制作の伝統が引き継がれた。特にラジガルの東南ナラシンガルでは、それ以前からすでに絵画制作が始められていて17世紀半ばから多くのラーガマーラーのセットが作られていた。絵1はその初期ののセットからの一枚とされる。
別の参考書には、マルワの楽曲絵は1600年頃にマンドウで制作された写本の数枚の絵が残されているとあり、次はその本からの一例である。画面構成や人物の描写から地方ムガルとメワール絵画の影響が強いように見受けられる。



絵2: ラマカリ ラギニー
中央インド マルワ(マンドウーの工房より) c.1600  20.9×16.8cm


左手の テラスでは機嫌を損ねてそっぽを向いて坐るラギニーに手をついて謝る男性の姿。美しく装い宝石で飾られた彼女は、宥めも懇願も聞かずに柱に右手をついて顔をそむけている。屋上の闇の中には孔雀が意味ありげなポーズ。館の中では侍女が心配そうな身振りで二人を見つめて立つ。
奥の寝室にはベッドもしつらえてある。館の屋上には、膨らみのあるドームや直線的な屋根を持つあずまやが並び立つ。画面すべてが、モザイクのように区切られた色を背景に描かれている。下部の帯模様は17世紀後期のマルワ絵画に登場するが……。

◆ ◆ ◆ 

マルワの絵画は一般に民画とか洗練されていない絵とかいわれている。これは、当時の大ラージプート王国の王族やお抱えの画家はムガルの宮廷と接触があり、その緻密で装飾的な画面に写実的要素が強調された絵画に影響されて制作していたが、マルワ在住の王や画家たちは(ムガル文化と接触する機会もなく)インド土着の絵画センスを強く持ち続けて、独自の素朴な表現の絵画を好み続け残しているためである。
特にラジガラの東南、ナラシンガラの画家(やパトロン)たちは、ムガル画家たちによって磨かれ洗練された混合様式の画面よりも、彼ら自身の素朴な絵画伝統の遺産がより好みに合ったようで、17世紀半ばよりこの流儀でいくつかのラーガマーラーシリーズが制作された。
この様式は近隣の他の小ラージプート宮廷でも好まれたようで、17世紀中葉には頂点を迎え、その後約1世紀にわたり多くのラーガマーラー絵画が中央インドのあちこちで制作された。
この地域で多数の素朴なラーガマーラー絵画が描き続けられ残されているということは、これらの地の人々が「ラーガマーラー」の楽曲そのものに親しんでいて、演奏をしたり聴いたりする機会が多く、ある程度、各学曲のラーガマーラー詩や、図像学的知識も持っていたのではと思われる。当時のマルワ地域のラージプートの小藩王たちや住民の風俗、暮らしなどのバックグラウンドにも興味がわく。
18世紀初頭にラジガルはジャイプルの攻撃を受け、次いで中央インドはマラータの支配下に入り、彼らの流儀が文化面にも押しつけられ、各地のマルワ派絵画は消滅する。現在、当時マルワ派の絵画が描かれていたとされる地域には、藩王時代の痕跡はほとんど残されていないという。
この素朴なマルワ派絵画、特に楽曲絵は、20世紀初めにボストン美術館の碩学クーマラスワミ博士(スリランカ出身)が、デリーで発見、購入し、評価し、発表したのがきっかけで、美術界に注目され、インドをはじめ世界中のミュージアムやコレクターの注目を浴び、蒐集の的となったらしいが、作品はすでに散逸していてまとまった写本などは少なく、マルワ各地の楽曲絵の全体的な詳細研究はなされていないようである。
また、17〜18世紀のマルワ各地では、ラーガマーラ絵画以外の写本作品などはそう多くは残されていないようである。

◆ ◆ ◆ 

では、魅力あるマルワのラーガマーラー絵画の何枚かをご紹介したい。参考書により作成された時期などはまちまちであるが、ほぼ年代順に並べてみた。



絵3: カクバ ラギニー
中央インド マルワ  1630-35  18.7×15.9 cm


愛人と別離のラギニー カクバは髪を乱して夜の森をさまよう。空には雨と稲妻、白い鳥が鳴き交わし、木の上では猿の親子が驚いた様子。孔雀たちは心配そうに彼女を見ている。両手に白い花輪を持って、振り返りつつ足早に彼女は進む。
「小径」(51)絵1でご紹介した、ヴァラナシの1560年頃のセットによく似た画風。マルワのラーガマーラー絵画独特の女性像,動植物、べた塗りの背景が楽しい。



絵4: トデイ ラギニー
中央インド マルワ  1640-50  20×14.7cm


台上でヴィーナを肩にするラギニーの立ち姿、足の位置、両脇の雌雄の鹿の躍動感、定番の植物の生命感、上空の雲などの描写がすばらしい。



絵5: ヴィバーサ ラギニー
中央インド マルワ  1640-50  19.9×14.6cm


右手の木に止まり、夜明けを告げようとする雄鶏を、蓮の弓矢で狙いを定める男。ラギニーは男の腰に腕を回して一緒に鶏を見つめている。鶏も植物も変わった描写で大きく描かれている。明け初める空の描写がよい。



絵6: メーガ ラーガ
中央インド マルワ  1650-60  19.6×14.6cm


雨季の到来を喜んで、台上で踊るクリシュナとラーダー。左側には太鼓、右にはシンバルでリズムをとるゴーピー。白鷺も雨を喜び、飛ぶ。ダイナミックな画面が楽しい。
特に作例の多い楽曲絵である。この絵では上部の黄色の枠にはたぶんラーガマーラー詩が記されている 絵の下部の連続模様は、この時代あたりからしばしば登場する。工房の作品マークか?



絵7: ガウリ ラギニー
中央インド マルワ  1680  15.2×13.7cm


オウムに餌を与えるラギニー。下部の模様を除けば、ほとんど1650年代のままの作風である。



絵8: 左:ヒンドーラ ラーガ  右:ラーガプトラ サーラング
中央インド マルワ c1690  サイズ不明


下部の花模様と上部の詩の配置が共通で、同じ写本からの2枚であろう。マルワ後期の作品は、構成も絵も緻密になり、整ってくる。



絵9: アサヴァリ ラギニー
中央インド マルワ 1680-90 29.3×23.9cm


ラギニーの笛に応じてたくさんの蛇が出現してくる。左下には、綺麗な孔雀に追われているものもいる。下部の蓮池、整ったラギニー像、彼女の坐る花の敷物、周囲の木々の描写、猿の身振りなど、あまりに緻密に描き込みすぎている。後期のマルワ絵画は絵としては上手であるが、本来の魅力から外れていく。



絵10: トデイ ラギニー
中央インド マルワ  1725-50   28.3×20.5cm


たぶん、ムガル絵画や近郊のラジャスタン各国の絵に影響を受けた、達者な腕を持つ画家が描いたものでは。中央でヴィーナを肩にし、振り向くラギニーは、ブンデイ派の女性像に近い。遠近法も取り入れ、達者な筆力でこれでもかとばかり描き込まれた背景の動植物は、それなりに魅力的であるが、早期マルワ絵画の素朴な魅力は消え、ラジャスタン絵画に近いもの物となっている。

◆ ◆ ◆ 

終わりに:
 「小径」(48)で絵葉書から採用し、絵1「トデイ ラーギニー 17世紀初頭」とご紹介した作品は、私がマルワ絵画に興味を持つきっかけとなった作品であるが、同じ絵、同じ写本からと思われる絵は、今回手持ちの参考書には見当たらなかった。
同じ文のデリーの国立美術館にある、ほとんど同じテーマ、構図の絵2は「マルワ 17世紀後期」とされているが、同じ絵がある参考書には「ブンデルカンド 17世紀後期」とされていた。構図から、絵1は「17世紀後期 マルワ」、更に描きこみが増えている絵2は、18世紀にマルワ近隣で作られた絵1の模写かと思われる。興味を持ち続けたい。



(インド細密画愛好家)




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