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《新版 万葉秀歌365》7月

7月1日(土) み吉野の象山の際の木末には ここだも騒く鳥の声かも☆── 山部赤人〔巻六・924〕
        みよしのの きさやまのまの こぬれには ここだもさわく とりのこゑかも  やまべのあかひと

  2日() 道の辺の草深百合の花咲に 咲みしがからに妻と言ふべしや☆── 作者未詳〔巻七・1257〕
        みちのへの くさふかゆりの はなゑみに ゑみしがからに つまといふべしや  さくしゃみしょう

  3日() あみの浦に船乗りすらむ娘子らが 玉裳の裾に潮満つらむか☆── 柿本人麻呂〔巻一・40〕
        あみのうらに ふなのりすらむ をとめらが たまものすそに しほみつらむか  かきのもとのひとまろ

  4日() 昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花 君のみ見めや戯奴さへに見よ☆── 紀女郎〔巻八・1461〕
        ひるはさき よるはこひぬる ねぶのはな きみのみみめや わけさへにみよ  きのいらつめ

  5日() 紅の濃染めの衣色深く 染みにしかばか忘れかねつる☆── 作者未詳〔巻十一・2624〕
        くれなゐの こぞめのころも いろぶかく しみにしかばか わすれかねつる  さくしゃみしょう

  6日(木) ほととぎす此よ鳴き渡れ灯火を 月夜に比へその影も見む☆── 大伴家持〔巻十八・4054〕
        ほととぎす こよなきわたれ ともしびを つくよになそへ そのかげもみむ  おおとものやかもち

  7日() 橘の蔭履む路の八衢に 物をそ思ふ妹に逢はずて☆── 三方沙弥〔巻二・125〕
        たちばなの かげふむみちの やちまたに ものをそおもふ いもにあはずて  みかたのさみ

  8日(土) 川の上のいつ藻の花のいつもいつも 来ませ吾が背子時じけめやも☆── 吹黄刀自〔巻四・491〕
        かはのへの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも  ふきのとじ

  9日() 夏麻引く海上潟の沖つ洲に 船は留めむさ夜ふけにけり☆── 東歌 上総国歌〔巻十四・3348〕
        なつそびく うなかみがたの おきつすに ふねはとどめむ さよふけにけり  あずまうた かみつふさのくにのうた

 10日(月) さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは 富士の高嶺の鳴沢の如☆── 東歌 駿河国歌〔巻十四・3358〕
        さぬらくは たまのをばかり こふらくは ふじのたかねの なるさはのごと  あずまうた するがのくにのうた

 11日() 立ちかはり古き京となりぬれば 道の芝草長く生ひにけり── 田辺福麻呂歌集〔巻六・1048〕
        たちかはり ふるきみやこと なりぬれば みちのしばくさ ながくおひにけり  さきまろのかしゅう

 12日() 恋ふること慰めかねて出でて行けば 山をも川も知らず来にけり☆── 柿本人麻呂歌集〔巻十一・2414〕
        こふること なぐさめかねて いでてゆけば やまをもかはも しらずきにけり  かきのもとのひとまろのかしゅう

 13日(木) ありさりて後も逢はむと思へこそ 露の命も継ぎつつ渡れ☆── 平群女郎〔巻十七・3933〕
        ありさりて のちもあはむと おもへこそ つゆのいのちも つぎつつわたれ  へぐりのいらつめ

 14日() 秋さらば今も見るごと妻恋ひに 鹿鳴かむ山そ高野原の上☆── 長皇子〔巻一・84〕
        あきさらば いまもみるごと つまごひに かなかむやまそ たかのはらのうへ  ながのみこ

 15日(土) 卯の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥 鳴きてさ渡る君は聞きつや☆── 作者未詳〔巻十・1976〕
        うのはなの さきちるをかゆ ほととぎす なきてさわたる きみはききつや  さくしゃみしょう

 16日() あしひきの山沢人の一沢に まなと言ふ子があやに愛しさ☆── 東歌〔巻十四・3462〕
        あしひきの やまさはびとの ひとさはに まなといふこが あやにかなしさ  あずまうた

 17日() 鱸取る海人の灯火外にだに 見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ☆── 作者未詳〔巻十一・2744〕
        すずきとる あまのともしび よそにだに みぬひとゆゑに こふるこのころ  さくしゃみしょう

 18日(火) 油火の光に見ゆる我が縵 さ百合の花の笑まはしきかも☆── 大伴家持〔巻十八・4086〕
        あぶらひの ひかりにみゆる わがかづら さゆりのはなの ゑまはしきかも  おおとものやかもち

 19日() 山科の木幡の山を馬はあれど 徒歩より吾が来し汝を思ひかねて☆── 作者未詳〔巻十一・2425〕
        やましなの こはたのやまを うまはあれど かちよりあがこし なをおもひかねて  さくしゃみしょう

 20日(木) 綰けばぬれ綰かねば長き妹が髪 このころ見ぬに掻き入れつらむか☆── 三方沙弥〔巻二・123〕*
        たけばぬれ たかねばながき いもがかみ このころみぬに かきいれつらむか  みかたのさみ

 21日() 人皆は今は長しと綰けと言へど 君が見し髪乱れたりとも☆── 娘子〔巻二・124〕
        ひとみなは いまはながしと たけといへど きみがみしかみ みだれたりとも  おとめ

 22日(土) 面形の忘るさあらばあづきなく 男じものや恋ひつつ居らむ☆── 作者未詳〔巻十一・2580〕
        おもかたの わするさあらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ  さくしゃみしょう

 23日() ま愛しみさ寝に吾は行く鎌倉の 美奈の瀬河に潮満つなむか☆── 東歌 相模国歌〔巻十四・3366〕
        まがなしみ さねにわはゆく かまくらの みなのせがはに しほみつなむか  あずまうた さがみのくにのうた

 24日(月) 水の上に数書くごとき吾が命 妹に逢はむと祈誓ひつるかも☆── 柿本人麻呂歌集〔巻十一・2433〕
        みづのうへに かずかくごとき あがいのち いもにあはむと うけひつるかも  かきのもとのひとまろのかしゅう

 25日(火) 吾が命は惜しくもあらずさにつらふ 君に依りてそ長く欲りせし☆── 娘子〔巻十六・3813〕
        わがいのちは をしくもあらず さにつらふ きみによりてそ ながくほりせし  おとめ

 26日() 念ひにし余りにしかばすべをなみ 出でてそ行きしその門を見に── 作者未詳〔巻十一・2551〕
        おもひにし あまりにしかば すべをなみ いでてそゆきし そのかどをみに  さくしゃみしょう

 27日(木) かくのみにありけるものを妹も吾も 千歳のごとく頼みたりけり☆── 大伴家持〔巻三・470〕
        かくのみに ありけるものを いももあれも ちとせのごとく たのみたりけり  おおとものやかもち

 28日() はしきよしかくのみからに慕ひ来し 妹が心のすべもすべなさ☆── 山上憶良〔巻五・796〕
        はしきよし かくのみからに したひこし いもがこころの すべもすべなさ  やまのうえのおくら

 29日() 草枕旅に物念ひ吾が聞けば 夕かたまけて鳴くかはづかも☆── 作者未詳〔巻十・2163〕
        くさまくら たびにものもひ あがきけば ゆふかたまけて なくかはづかも  さくしゃみしょう

 30日() 伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の 現はろまでもさ寝をさ寝てば☆── 東歌 上野国歌〔巻十四・3414〕
        いかほろの やさかのゐでに たつのじの あらはろまでも さねをさねてば  あずまうた かみつけののくにのうた

 31日() 君が行く道の長手を繰り畳ね 焼き亡ぼさむ天の火もがも☆── 狭野茅上娘子〔巻十五・3724〕
        きみがゆく みちのながてを くりたたね やきほろぼさむ あめのひもがも  さののちがみのおとめ




〈今日の秀歌メモ〉

7月2日
塚本邦雄撰『清唱千首』(冨山房百科文庫)は、その「白雉・朱鳥より安土・桃山にいた
る千年の歌から選りすぐつた絶唱千首」に本歌を収め、こう述べる。
「路傍の草の茂みに、紛れず匂ふ一茎の百合、その花さながら、ちらりと微笑をあなたに
向けた、ただそれだけのことで、妻と呼ばれねばならないのか、否、否と、百合少女(を
とめ)は、多分その熱心で強引で自惚(うぬぼれ)の強い男を拒む。みづからを百合にた
ぐへるところもほほゑましく、『花咲(はなゑみ)』なる言葉も実にゆかしい。『古歌
集』出典歌中、絶類の佳品である」。


7月3日

新日本古典文学大系『萬葉集一』によれば、
題詞「伊勢国(いせのくに)に幸(みゆき)したまひし時に、京(みやこ)に留まりし柿
本朝臣人麻呂の作りし歌」、
口語訳「あみの浦で船に乗りこもうとする乙女たちの美しい裳裾に、潮が満ち寄せている
だろうか」、
「この行幸は持統天皇六年(692)三月。都は明日香京にあった」。


7月4日
新編日本古典文学全集『萬葉集 1』によれば(摘記引用)、
題詞「紀女郎が大伴宿禰(すくね)家持に贈る歌二首」
左注「右、合歓の花と茅花(つばな)とを折り攀(よ)ぢて贈る」
の二番目の歌、
「合歓木──夜間、複生する小葉を閉じ合わせて眠る特性を有するところから、ネブ、ネ
ブリなどの名が付けられた。『合歓』の字は、その葉が夜、合する性質によって男女の交
合にたとえた漢籍の用法に従ったもの。
君──一般には男性に対して敬意を込めた人称代名詞として用いるが、ここは女である作
者が自らワケの主君であるとして戯れて言ったもの。
戯奴──ワカシと同源で、若輩に対して、未熟な者、至らぬ徒輩、と揶揄(やゆ)して呼
ぶ語。また、そう呼ばれた者が自らを未熟者と認めて一人称代名詞のように用いる。この
語を用いた歌は戯笑性が濃い。
さへに──サヘに同じ。サヘは原文で『副』と書かれることもあるように、名詞ソヘ(お
まけの意)の転……ニは資格を表す、〜として、の意の格助詞」、
君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ──(口語訳)あるじだけ見るべきでしょうか 戯
奴わけも見なさい」、
「ネブの花期は夏、ツバナの食べられるのは春で、時期が合わない。作者はネブを『合
歓』と書くことに興味を覚え、これを家持に贈って謎をかけ、来訪を促したのであろ
う」。

塚本邦雄撰『清唱千首』(冨山房百科文庫)は、
「紀小鹿〔きのをしか、紀女郎の別称のひとつ〕は安貴王〔あきのおほきみ、天智天皇の
曾孫〕の妻で、別れて後家持に近づいたともいはれる。あの清艶無比な合歓に自分をなぞ
らへ、夜の寂しさを暗示し、しかもやや諧謔も交へる手法は注目すべきだらう。家持の返
歌に『吾妹子が形見の合歓木は花のみに咲きてけだしく〔おそらく〕実にならじかも』と
あるが、これは文飾で、日照・通風等が好条件ならば、十に一つは結実するものだ」
と言う。


7月5日
作者不明の巻のなかでも、出典不明の「寄物陳思」に収められた歌

新日本古典文学大系『萬葉集三』によれば、
口語訳「紅に色濃く染めた衣のように、心に色濃くしみ込んだせいか、忘れかねること
だ」。


7月6日
塚本邦雄撰『清唱千首』(冨山房百科文庫)は言う。
「今宵は闇、遙かから声のするのは山から鳴き下るほととぎす。灯(ひ)をあまたともし
連ね、月光の代りに天まで照らして、翔(かけ)る姿も眺めよう。声を持ち、かつ聞いて
愉(たの)しむ歌は八代集にも夥(おびただ)しいが、鳥の姿を灯火に映し出す、この絵
画的な発想と構成は稀に見るもの、さすが家持と膝が打ちたくなる。万葉集でも、この
鳥、ほとんど『鳴き響(とよ)む』のみ」。

なお、
此よ──ここを通って(例解古語辞典第二版)。


7月7日
八衢──「《チマタは道の分れる所》道が八つ、または数多くに分れる所。迷いやすいた
とえにいう」(岩波古語辞典)。

塚本邦雄撰『清唱千首』(冨山房百科文庫)は言う、
「詞書(ことばがき)に『三方沙弥、園臣生羽(そののおみいくは)の女(むすめ)を娶
(ま)きて、未だ幾(いくばく)の時を経ずして病に臥して作る歌三首』とあるその一
首。上句は第四句を導き出す序詞ではあるが、傑作の黒白映画の一場面を見るように夏の
繁華街の橘〔みかん〕並木の蔭と、行き交ふ人を活写して、結句の歎きに精彩を添へる。
逆に、下句の悲しみは上句のための、抒情的な修飾をしてゐるかにも見える」。


7月8日
新日本古典文学大系『萬葉集 一』によれば、
「〔作者不明歌巻の〕巻十相聞歌の問答に重出(1931)。伝承歌が吹■〔くさかんむり
に「欠」〕刀自(ふふきのとじ)に仮託されたものであろう。上二句は『いつもいつも』
の序詞」、
「結句の『時じ』は形容詞、その時ではないの意。『けめやも』で反語となり、何時も何
時もお越し下さいという歓迎の気持を伝える」。

いつ藻──「《イツは神威をうけて盛んであること。イツ柴〔、厳樫(いつかし)〕など
のイツと同じ》盛んに茂った藻」(岩波古語辞典)。


7月9日
「東歌」を総題とする、作者不明歌巻、巻十四の巻頭歌。

夏麻引く──「〔枕詞〕夏の麻の糸を引いて績(う)む意から、績むと同音をもつ地名
「海上(うなかみ)」「宇奈比(うなひ)」にかかり、糸(い)と同音をもつ「命」など
にかかる」(岩波古語辞典)。

斎藤茂吉『萬葉秀歌』は言う、「単純素朴で古風な民謡のにほひのする歌である。『船は
とどめむ』はただの意嚮(いこう)でなく感慨が籠つてゐてそこで一たび休止してゐる。
それから結句を二たび起して詠歎の助動詞で止めてゐるから、下の句で二度休止がある。
此(この)歌は、伸々とした歌調で特有な東歌ぶりと似ないので、略解〔橘(加藤)千蔭
(ちかげ)『萬葉集略解(りゃくげ)』〕などでは、東国にゐた京役人の作か、東国から
出でて京に仕へた人の作ででもあらうかと疑つてゐる」。


7月10日
朝開き──「泊まっていた舟が、夜明けを待ってこぎ出すこと。朝の船出」(岩波古語辞
典)。

リービ英雄『英語でよむ万葉集』(岩波新書)は言う、
「数多くの歌人の名前の中で、『天皇から乞食まで』とも言われる幅広い層の有名無名の
歌人の中で、『朝臣(あそみ)』でも『宿禰(すくね)』でも『娘子(をとめ)』でもな
い『沙弥満誓(さみまんせい)』という名前からは特殊な響きが感じられる。『沙弥』は
出家した僧に対する呼び方の一つだが、英語でも、Lord Otomo とか Lady Sakanoue
とか何なに house の daughter と違って、Priest Mansei という作者名からは、かれら
とは質の違った内容の表現を期待してしまう。
 『沙弥満誓』は、そんな期待にこたえるかのように、古来、文学にとって根元的かつ最
終的な問いを立てる。

  世の中を 何物(なに)に譬(たと)へむ
  To what shall I compare
  this life?

 人の世、この人生の比喩を問う。
 何物にたとえようか、という実体を模索するような『問』いに対して、実体が消えてゆ
くイメージによって『答』える。なのにそのイメージは、可視的なものなのである。

  朝びらき 漕(こ)ぎ去(い)にし船の 跡無きごとし

 たったこれだけの文字数の中で、文学の最古層にある『質問』への、完璧で究極の『答
え』がつづられる。『跡』という千年の日本語のキーワードを、この場合、 traces(見
える跡、可視的な跡)と訳しながら英語に復元してみると、イメージが厳密でしっかりし
ているから、必然的に次の三行が滲んでくる。

  the way a boat
  rowed out from the morning harbor
  leaves no traces on the sea.


7月12日
伊藤博『萬葉集釈注 六』によれば、
「女ゆえに山野を彷徨する男の歌である。
  恋の苦しさを晴らそうにも晴らしかねて飛び出して来たところ、
  どこが山やら川やらもわからず、こんなところまで越えて来てしまった。
の意。味のいい歌だ。『山をも川も知らず来にけり』が単純で余韻があって感が深い。
……
 斎藤茂吉『柿本人麿評釈篇』に、『内容は極めて平凡だが、何処(どこ)か真率のとこ
ろがあつて具合のいい歌である。特に、「山も川をも知らず来にけり」といふ句が実に自
然で、現代の歌人の心と雖(いへども)毫(ごう)もこれと違つてゐない。また調(しら
べ)がのびのびとしてゐるのは、これが本当の日本語の調だからであらうか』とあり、佐
佐木信綱『評釈萬葉集』にも、『端的直截に近代性に富んだ表現が、強く読者の共感を誘
ふ。四五句が殊に優れてゐる』とある」。

なお、新編日本古典文学全集『萬葉集 3』によれば、
「慰めかねて──慰メの原文『意追』は心の憂悶を追い払うことを示す。同じ字面を
2452ではココロヤリと読んでいる」。


7月13日
新編日本古典文学全集『萬葉集 4』によれば、
「ありさりて──アリシアリテの約。ずっとこんなに(逢わないままに)あって。
後も逢はむ──このモは、せめて〜なりとも、の意。
思へこそ──思ヘバコソに同じ。
露の命──露のようにはかないわたしの命。
(口語訳)そのうちに いずれは逢えようと 思えばこそ 露のようにはかない命でも 
繋いで生きているのです」。


7月14日
巻一の巻末に、和銅三(710)年三月の遷都後の宮号を示す「寧楽宮(ならのみや)」と
いう標目のもとに一首のみ置かれる歌。

斎藤茂吉『萬葉秀歌』によれば、
「長皇子(天武天皇第四皇子)が志貴皇子(天智天皇第四皇子)と佐紀宮に於て宴せられ
た時の御歌である。……
 一首の意は、秋になったならば、今二人で見て居るやうな景色の、高野原一帯に、妻を
慕って鹿が鳴くことだらう、といふので、なほ、さうしたら、また一段の風趣となるか
ら、二たび来られよといふ意もこもつてゐる。
 この歌は、『秋さらば』といふのだから現在は未だ秋でないことが分かる。『鹿鳴かむ
山ぞ』と将来のことを云つてゐるのでもそれが分かる。其処(そこ)に『今も見るごと』
といふ視覚上の句が入つて来てゐるので、種々の解釈が出来たのだが、この、『今も見る
ごと』といふ句を直ぐ『妻恋ひに』、『鹿鳴かむ山』に続けずに寧(むし)ろ、『山
ぞ』、『高野原の上』の方に関係せしめて解釈せしめる方がいい。即ち、現在見渡してゐ
る高野原一帯の佳景その儘(まま)に、秋になるとこの如き興に添へてそのうへ鹿の鳴く
声が聞こえるといふ意味になる。『今も見るごと』は『現在ある状態の佳き景色の此の高
野原に』といふやうになり、単純な視覚よりももつと広い意味になるから、そこで視覚と
聴覚との矛盾を避けることが出来るのであつて、他の諸学者の種々の解釈は皆不自然のや
うである。
 この御歌は、豊かで緊密な調べを持つてをり、感情が濃(こま)やかに動いてゐるにも
拘(かかは)らず、さういふ主観の言葉といふものが無い。それが、『鳴かむ』といひ、
『山ぞ』で代表せしめられてゐる観があるのも、また重厚な『高野原の上』といふ名詞句
で止めてゐるあたりと調和して、萬葉調の一代表的技法を形成してゐる。また『今も見る
ごと』の挿入句があるために、却(かへ)つて歌調を常識的にしてゐない。家持が『思ふ
どち斯(か)くし遊ばむ今も見るごと』(第十七・三九九一)と歌つてゐるのは恐らく此
(この)御歌の影響であらう」。



7月15日
岡ゆ──岡から
さ渡る──「さ」は接頭語。
聞きつや──聞きましたか。


7月16日

「東歌」を総題として作者不明歌を収める巻十四の、いわゆる未勘国歌(歌にちなむ国土
の判明しない歌)の「相聞」の部にある歌。

伊藤博『萬葉集釈注 七』によれば、
「 あしひきの山沢の人びとが、沢中挙(こぞ)って
  手出しをしてはいけないと言っている子、
  その子がむしょうにいとしくてならぬ
  このせつなさよ。
の意と思われる。
 『山沢人』は狭い谷あいに集まって住み、山沢(さんたく)を拠り所として暮らす人た
ち(鹿持雅澄『萬葉集古義』所引源厳水説参照)。特殊な山沢で、一種秘境とされていた
所なのであろう。さような山沢の秘境(渓谷)を『沢』と称することは、今でも東国地方
に多い(『全国方言辞典』)。中央語で言えば『河内(かふち)』(巻一・36)である。
 第三句の『一沢に』は、諸注の大部分が『人さはに』(世間の人びとがたくさんに)の
意と見、上二句をこの句を起こすための同音の序詞と解している。しかし、……3455か
ら3480の歌までは正述心緒の歌として群をなすものである。ここに序詞を有する奇物陳
思の歌が現われるいわれはない。これは『一沢に』の意で、その一つの沢中において、す
なわち、沢中の悉(ことごと)くにあって、の意ではないかと思う。
 一方、第四句の『まな』は巻六・1022などに『愛子(まなご)』とある『まな』と同
じで、いとしくてならぬの意とするのが通説になっている(契沖『万葉代匠記』精撰
本)。しかし、これは、武田祐吉『萬葉集全註釈』増訂本に、『マナは、禁止、制止の
語。日本書紀には、『無蔵金銀銅鉄』(孝徳天皇紀)、『無争爵位』(天智天皇紀)など
の無の字にマナと訓し、枕の草子には、『まなと仰せらるれど聞き入れず』、『まなと仰
せらるれば笑ひてかへりぬ』などある。言い寄つてはいけないの意。従来マナゴ(愛子)
のマナとされていたが、そのマナだけで使用された例はない。しかし愛子のマナも、もと
は制止のマナと同語だろう』とあるのが正解だと思われる。こう取ってこそ、結句の『あ
やに愛しさ』が生きるのであり、第三句はむしろ『一沢に』でなければならないと考え
る」。〔上記引用、三カ所改行、漢文返り点省略〕


7月17日
目録に「古今相聞往来歌類之上」と総題のある、作者不明歌を収める巻十一の、二番目の
「奇物陳思」、そこに排列された海に寄せた歌19首の最後に置かれている歌。

塚本邦雄撰『清唱千首』(冨山房百科文庫)は言う、
「遠目にさへ見ることのできない人、それでも更にいとしさの募る人、われから不可解な
恋の歎きを、意外な序詞で繋ぐ。『鱸取る海人の灯火』こそ、『外』を導き出す詞であ
る。鱸は古くから愛され、萬葉にも数種見える。しかも暗黒の海にちらちらと燃える漁火
(いさりび)が、作者の胸の思ひの火の象徴となる。序詞が生きて働く、萬葉歌のみのめ
でたさか」。


7月18日
いわゆる家持歌巻の歌。

新日本古典文学大系『萬葉集 四』によれば、
題詞「同じ月〔天平感宝元(749)年五月〕の九日に、〔越中〕国府の役人たちが少目
(しょうさかん)秦伊美吉石竹(はだのいみきいわたけ)の館に集まって宴会を開いた。
その時主人が百合の花縵を三枚作って、高坏(たかつき)に重ね置いて客人に贈呈した。
各々がこの縵を歌に詠んで作った三首」の一首目、
さ百合──「『さ』は接頭辞だが、歌では常に『さ百合』という。単に百合といった例
は、万葉集には見えない」。


7月19日
17日掲載歌と同じく作者不明歌を収める巻十一の、一番目の「奇物陳思」に排列された山
に寄せる歌のひとつ。

新日本古典文学大系『萬葉集一』によれば、
「第三句以下、『君に恋ひ寝(い)ねぬ朝明(あさけ)に誰(た)が乗れる馬の足音(あ
のおと)そ我に聞かする』(2654)の歌を参照して、馬の足音によって通いの露見する
ことを恐れて徒歩で来たと解したい。同様に『木幡の山』の『こはた』に『此は誰』(こ
れは誰の馬の足音なのか)の意があると見たい。『かはたれ』と同じ語構成。『かはたれ
時』(4384)。即ち、『木幡の山』とは『誰何(すいか)される山』であり、従って十
分警戒して徒歩で来たというのである。その同音性を考慮しなければ、『奇物』の歌には
なり得ないのではないか。……この歌、源氏物語に『木幡の山に馬はいかがはべるべ
き』(総角)」。

島木赤彦は、第四・五句を「徒歩ゆ吾(あ)が来し汝(な)を思ひかね」と訓んでいる。


7月20日
伊藤博『萬葉集釈注 一』によれば、
題詞「三方沙弥、園臣生羽(そののおみいくは)が女(むすめ)を娶(めと)りて、幾時
(いくだ)も経ねば、病に臥(ふ)して作る歌三首」の一首目、
「三方沙弥も園臣生羽が女(むすめ)も、伝未詳。二人が結婚して、まだいくらも経って
いないのに、夫の沙弥が病床に臥し、しばらく女のもとに通うことができなかった時の夫
婦の歌である。
 第一首は、まだ放(はな)り髪(がみ)の幼な妻への歌で、
  束ねようとすればずるずると垂れ下がり、束ねないでおくと
  長すぎるそなたの髪は、この頃見ないが、
  誰かが櫛(くし)けずって結い上げてしまったことだろうか。
という意。夫が幼な妻の髪上げをする風習や、女は女で再び逢うまでは髪型を改めない風
習などがあったことを踏まえる歌で、訪れないうちに相手が人のものになってしまったの
ではないかと、男は懸念している」。〔明日に続く〕


7月21日
〔承前〕
「第二首は、これに対する幼な妻の歌で、
  まわりの人びとは皆、もう長くなったとか、
  もう結い上げなさいとか言いますけど、
  あなたがご覧になった髪ですもの、どんなに乱れていようと、
  私はそのままにしておきます。
という意。例によって、相手の言葉『たく』『長し』『髪』『見る』などを使って答えて
いるが、贈答歌に常習のしっぺ返しはない。これは、相手が病床の身であるという非常事
態にあるからであろう。こういう場合、下手なしっぺ返しをすると、親しみを増すどころ
か、互いの断絶に至りかねない。
 ただし、『今は長しとたけと言へど』には、まわりの人びとは別の人の世話になった方
がよいというけれど、の意をにおわしているのかもしれない。甘えて、ちょっとおどして
見せ、心変わりしない(髪は乱れてもそのままにして人にはいじらせない)ことを誓った
ところに一種艶麗な官能性がある。『君が見し髪』も、心をこめて見られた髪であると同
時に、愛撫された髪であろう。真意は、『早く元気になってまたもとのままのこの髪をか
き撫でてね』という点にある。甘えの濃厚な歌である」。

「第三首」は今月7日掲載歌。


7月22日
19日掲載歌と同じく作者不明歌を収める巻十一の、二番目の「正述心緒」に排列された
歌。

新編日本古典文学全集『萬葉集 3』によれば、
口語訳「面差(おもざし)を 忘れる時さえあったら 意気地なく 男のくせに 恋し
がっていようか」、
「忘るさ──サは古代語で行クサ・帰ルサ・来サなどと用い、時の意の接尾語。この忘ル
は下二段活用の終止形を連体格に用いた。
あづきなく──アヅキナシはアヂキナシの古形か。どうにもならないほどうんざりする気
持を表す。
男じものや──…ジモノは一般に、〜でもないのに、〜ででもあるかのように、の意だ
が、稀には逆に、〜であるのに、〜ではないかのように、の意の場合もある。この男ジモ
ノもその一例。詠嘆的疑問」。


7月23日
ま愛し──「《マは接頭語》切ないほどにかわいい。切ないほどにかなしい」(岩波古語
辞典)。
ま愛しみ──「あなたがいとしさに。女がいとおしく。『まかなし』(3567)の特殊な
連用形(一般に『み』は原因・理由を示す接尾語と言われる」(水島義治『校註万葉集東
歌・防人歌』新増補改訂版)。

斎藤茂吉『萬葉秀歌』によれば、
「一首は、恋しくなってあの娘の処に行くが、途中の鎌倉のみなのせ川に潮が満ちて渡り
にくくなつてゐるだらうか、といふのである。『潮満つなむか』は、『潮満つらむか』の
訛(なまり)である。内容は古樸(こぼく)な民謡で取りたてていふ程のものではない
が、歌調が快く音楽的に運ばれて行くのが特色で、かういふ独特の動律で進んでゆく歌調
は、人麿の歌などにも無いものである。例へば、『〔あみの浦に船乗りすらむ娘子〈をと
め〉らが〕玉裳の裾に潮満つらむか』(巻一・40)〔本集7月3日掲載〕でもかう無邪気
には行かぬところがある。また、『ま愛しみ寝(ぬ)らく愛(はし)けらくさ寝(な)ら
くは伊豆の高嶺(たかね)の鳴沢(なるさは)なすよ』(3358或本歌〈あるほんのう
た〉)などでも東歌的動律だが、この方には繰返しが目立つのに、鎌倉の歌の方はそれが
目立たずに快い音のあるのは不思議である」。


7月24日
作者不明歌を収める巻十一の、一番目の「奇物陳思」に排列された川に寄せる歌7首の最
後に置かれている歌。

新編日本古典文学全集『萬葉集 3』によれば、
「水の上に数書くごとき──数書クは、数を数える時に、数え誤らないように心覚えに算
木代りの線を引くこと。はかなく消えることのたとえ。『涅槃経(ねはんぎょう)』巻第
一に『是(こ)ノ身ハ無常ニシテ、念々住(とど)マラズ。……亦水ニ画ク如ク随(つ)
ギテ画ケバ随ギテ合フ」とあるのによる。『古今集』恋歌一にも『ゆく水に数書くよりも
はかなきは思はぬ人を思ふなりけり』(522)とある。
うけひつるかも──このウケフは事の実現を神に祈る意」。

西欧近代の詩人ジョン・キーツの墓碑銘「その名を水に書かれし者ここに眠る」(Here
lies one whose name was writ in water.)が想起される。


7月25日
「竹取の翁」の長歌(3791)など「おもしろおかしくたのしい歌々を集める」、巻頭に
「由縁(ゆゑよし)有る雑歌(ざふ〈ゾウ〉か)」と部立のある巻十六の、「第一部」、
「昔男や昔女のいわく因縁のあるさまざまな係恋の歌」30首の末近くに置かれる、「夫君
に恋ふる歌一首」(3811 長歌)の「或る本の反歌に曰く」と題詞のある歌。〔引用部、
伊藤博氏による〕

さにつらふ──「【さ丹頬ふ】〔枕詞〕《サは接頭語。赤いほほをしたの意》紅顔のの意
から『君』『妹(いも)』、赤い色の意から『もみち』『紐』『色』にかかる」(岩波古
語辞典)。

伊藤博『萬葉集釈注 八』によれば、
口語訳「私のこの命など、惜しくもありません。ただお元気な我が君に逢える日のためだ
けに、長らえたいと願っていたのです。
左注訳「右については、こんな伝えがある。ある時、一人の娘子がいた。生まれは車持家
であった。その夫は、いったん縁を結びながら長い年月を経ても、便りもよこさなかっ
た。そこで、娘子は、恋しさに心を痛め、重い病に沈み床に臥す身となった。日ごとに痩
せ衰えて、ついに死を待つばかりとなった。そこで、まわりの者は、使いをやって、その
夫を呼び寄せた。すると娘子は、すすり泣きに泣いて涙を流し、この歌を吟(くちずさ)
んで、またたくまに死んでしまったという」。


7月27日
巻三の「雑歌」、「譬喩歌」、「挽歌」とある部立のうち、「挽歌」の終りの方に位置す
る歌。

新日本古典文学大系『萬葉集一』によれば、
題詞「〔天平〕十一〔739〕年己卯(きぼう)の夏六月、大伴宿祢家持の、亡妾を悲傷し
て作りし歌一首」とある、時に「家持二十二歳」の歌(462)に続く、「悲緒(ひしょ)
未だ息(や)まず、更に作りし歌五首」の第一首。


7月28日
6月26日掲載歌と同様に、長歌「日本挽歌一首」に含まれる反歌五首のひとつ。

はしきよし=はしきやし=はしけやし、
はしきやし──「連語《ヤシは間投助詞》いとしい。愛すべき。『ああ』という嘆息の語
とほとんど同義になる例が多い。亡くなったものを愛惜し、また自己に対して嘆息する意
に多くつかう」(岩波古語辞典)。

伊藤博『萬葉集釈注 三』によれば、
口語訳「ああ、遠い夷(ひな)の地、筑紫で死ぬ定めだったのに、むりやり私に付いて来
た妻の、その心根が何とも痛ましくてならない」。


7月29日
巻八と同じく部立に四季をならべ各季ごとに雑歌と相聞を立てるものの、このほうは作者
不明の歌を収める巻十の、「秋の雑歌」の「蝦(かはづ)を詠む」五首のひとつ。

かたまけて→かたまく
かたまく──「【片設く】[自カ下二]《上代語》その時期が近づいてくる。時節がめ
ぐってくる」(全訳読解古語辞典)。
同──「ある時期を待ちもうける」(新潮国語辞典)。

伊藤博『萬葉集釈注 一』によれば、
「蝦 蛙の意。ここ〔「蝦を詠む」五首〕はすべて河鹿。河鹿は晩春から鳴き出して初秋
(陽暦八月中頃)には鳴きやむ。だが、巻十では秋の部のみに見える。原文の『蝦』は蝦
蟇(がま)の略でひきがえるの意だが、『万葉集』では『かはづ』の意に用いている」、
口語訳「ここ旅先で物思いしながらしんみり耳を澄ませていると、夕方が近づいたとばか
りに、妻呼ぶ河鹿の声が聞こえてくる」。


7月30日
新編日本古典文学全集『萬葉集 3』によれば、
「やさかのゐで──ヰデは堰堤、ダム。ここは人工池の堤防をさすのであろう。ヤサカは
地名か。あるいは八尺(やさか)(一尺は約29.7センチ)で堤防の高さを示したか。
立つ虹の──ノジはニジの古形ないし東国訛り。上州方言を集めた『登古呂言葉』にノジ
とあり、ノズという形も『仙覚抄』〔仙覚『萬葉集註釈』の別称〕3561の注に見える。
『天武紀』の古訓にもヌジとあり、中央語でも似た語形で呼ばれていたようである。以上
三句、現ハロを起す比喩の序。
現はろまでも──アラハロはアラハルの東国語形。マデは東国語では終止形に接続するこ
とがある。
さ寝をさ寝てば─サ寝ヲサ寝は幾夜も続けて寝ること。『さ寝さ寝てこそ』(3497)と
いう例もある。この下に、あとはどうなりとなれ、という成行き任せの捨てぜりふが省略
されている」、
口語訳「伊香保の やさかの土手に 立つ虹のように 人目につくほど 寝られたから
は」。

新日本古典文学大系『萬葉集 三』によれば、
「『伊香保ろ』の『ろ』は接尾語。……万葉集に『虹』を詠んだ唯一の歌である。虹は決
して美しいものではなく、一般には、驚異・畏怖・不安・不吉の念を抱かせる怪異の現象
だった。源氏物語にも枕草子にも『虹』は一度も出て来ない。結句『さ寝をさ寝てば』、
『さ寝』の『さ』は接頭語。『を』は間投助詞」。


7月31日
題詞「中臣朝臣宅守(やかもり)の狭野茅上娘子と贈答せし歌」の二首目。

島木赤彦『万葉集の鑑賞及び其批評(前編)』(岩波版)によれば、
「行く人は宅守である。さし行く先は越前の田舎である。あなたの行く道の長手(長手と
は長い道のこと)は思ひやつてもやり切れない。その長い道をこちらへ繰つて繰り綰(た
が)ねて、火に焼いて、焼き尽したい。といふのであつて、左様な天火あれかしと願望す
る心が、いかにも激越にして痛切である。その激越な感情が『焼き亡さむ天の火もがも』
といふ強い調子に出てゐるために、心と調との間に空虚がなく、非常の感じに人を引き付
けることが出来るのである」。

塚本邦雄撰『清唱千首』(冨山房百科文庫)は言う、
「巻十五後半には、二人の悲痛な相聞が一纏(ひとまと)めに編入されてゐるが、婚後、
何故か越前に流罪(るざい)になつた宅守に宛てた妻、弟上娘子の歌のうち、殊に『天の
火もがも』の、一切をかなぐり捨てて彼女自身が白熱したやうな一首は、胸を搏(う)
つ。道をあたかも一枚の布か紙のやうに、手繰(たぐ)つて巻き寄せるといふ発想にも、
昂揚した女性特有の凄じさがある」。
〔万葉集古写本には作者名の「茅」の部分を「弟」と書くものもある由。〕





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